2011年東北地方太平洋沖地震被害調査報告(第五報)

福島県南部〜茨城県北部の調査

Rev. 1.0 (2011/04/02)

2011年東北地方太平洋沖地震被害の現地調査(福島県南部〜茨城県北部)の報告の続きです。第四報はこちらです。

5. 日立市周辺

日立駅前の東横インのエントランスのタイルが少し割れていました。また道路を挟んで向かい側(北東側)の歩道でもタイルが破損していました。
(N36°35’30.28, E140°39’37.3)

東横インを含む駅前の一角(西側)ではガラスの破損,壁の落下など構造体には影響がないような軽微な被害がまとまって見られました。
(N36°35’31.10, E140°39’38.19)
(N36°35’31.73, E140°39’38.42)
(N36°35’33.65″, E140°39’33.73)
(N36°35’34.10, E140°39’40.30)

ブロック塀が倒れているところもありました。鉄筋による補強はされていないように見えました。また,福島県の南部でよくみかけた大谷石(?)による組積造の土蔵の瓦も落ちていました。右の写真では土蔵の瓦だけではなく奥の木造住家の瓦もずれています。ただ,土蔵のほうが瓦の被害が大きいようにも見えます。これらの構造物の固有周期はずいぶんん違うはずですが,そのことが被害に関係しているのでしょうか。土蔵の手前側の住家(おそらく新耐震基準に従っていて,かつかなり新しい)には外観上の被害はまったくみられませんのでこれらを見て何かを議論することは困難です。
(N36°35’32.62, E140°39’31.50)
手前の住家は棟瓦がずれています。奥のブロック(大谷石?)塀も倒れています。
(N36°35’42.68, E140°39’30.81)

駅の近くの住宅地のなかにある墓地では少し墓石が倒れていました。きっちり数えていないのでなんとも言えませんが,ざっとカウントしたところ1/10〜1/15ほどが転倒していました。
(N36°35’37.15, E140°39’32.47)
一方,線路の東側は海岸に向って絶壁になっています。その絶壁の端にある墓地では海岸線と平行に並んでいる墓石はほぼすべてが転倒していました。海岸線と直交する方向に並んでいる墓石は回転はしていましたが転倒はしていません。
(N36°35’18.94, E140°39’43.24)
また周辺の住家には外観上の被害はないようでした。この墓地は下の写真のように海岸に向って(おそらく) 20m以上の高低差がある絶壁の上に位置しています。写真の奥の方の海岸沿いに見えている高い高架橋は国道6号線日立バイパスの旭高架橋です。

6. 日立市〜ひたちなか市

日立市からひたちなか市にかけての海岸沿いは,砂丘であるらしく,海岸に沿って南下する国道245号線はp-pで20〜30mほどの高低差で波長が1〜2kmほどのアップダウンが続きます。自転車にはつらい行程です。途中で下の写真のような建物がありました。組積造の土蔵に木造の住家がくっついた構造になっています。そして土蔵の瓦だけが落ちていて,木造の部分は1階部分が損傷を受けたようです(ブルーシートが張ってあるので中がどうなっているかはわかりませんでした)。

ふたつの構造物はまったく異る固有周期をもっていることは容易に推測できます。その違いが被害のでる場所に違いがでたのではないかと考えられます。もちろん,ふたつの構造物の相互作用もあるでしょうからその挙土は単純ではないと思いますが,両者の動的性質が著しく異るためにそれぞれ個別の構造物の挙動から想像されるような応答を示したのではないでしょうか。
(N36°34’37.45, E140°39’17.84)

国道245号線を南下していると砂丘の上の方が谷の部分よりも被害が多いのではないか,という印象をもちました。ただし,被害はいずれも瓦の被害に限られるようで,構造的な問題が生じるような被害は外観からは見られませんでした。

なお,自転車で移動していたために,砂丘の上に到達すると周囲を見る余裕ができるために砂丘の頂上近くほど被害が目に入りやすかっただけなのかもしれません。

下左の写真の手前部分には住家があったようですが,火災があったらしく完全に片付けられていました。奥の住家は瓦の被害がみられます。
(N36°34’31.94, E140°39’14.11)

常磐線の常陸多賀駅の少し南で県道が常磐線を越える跨線橋の横の駐車場の盛土が壊れていました。すぐ横の跨線橋(左の写真では向って左側,右の写真では手前側になります)のほうはアバットメントの裏込め土の移動もなく健全であるように見えました。
(N36°2’47.53, E140°37’32.56)

瓦の被害はところどころで見られました。しかし,構造に問題が生じるような被害は少なくとも私が見た範囲ではありませんでした。
(N36°30’17.06, E140°36’58.33)

日立市大みか町の墓地では,倒れた竿石は1基だけだったようです。全部で何基あるのか数えていませんが,写真でみられるように数はかなり多くあります。
(N36°30’8.36, E140°36’25.26)

県道358号線(の延長部分)が茂宮川をわたる南高野橋ではアバットメントが少し沈んで段差ができていました。
(N36°29’48.68, E140°36’9.48)

県道358号線が久慈川を渡った少し南の跨道橋では歩道部分だけ砂利で埋めてありました。アバットメントの沈下による段差が生じたものと考えられます。車道部分には渡り板が設置してあっために段差はできなかったのでしょう。ただ,歩道部分の砂利で埋めた場所は橋の両端のアバットメント以外に橋梁の真ん中付近にもありました。橋の下におりられなかったためどうなっているのかわからなかったのですが,1スパンの単純桁のようだったのでどうして真ん中に段差ができるようなことが起るのかよく理解できませんでした。

周辺では瓦に被害のある家がごくわずか見られました。また,橋の上から見える墓地では墓石の修理をしていたので,転倒した墓石があったのかもしれません。
(N36°28’55.96, E140°34’53.87)

東海村に入っても日立市と同じようにところどころで瓦の被害が見られました。
(N36°27’38.06, E140°32’48.77)

ひたちなか市に入って,常磐線の佐和駅の南の跨線橋近くの交差点(「陸橋西」交差点)では,ブロック塀の転倒と下水管の埋め戻し土の液状化が見られました。
(N36°25’21.76, E140°32’2.65)

7. 勝田駅〜那珂川周辺

勝田駅南側の県道283号線沿いの墓地では,ところどころ転倒している墓石がありました。転倒している墓石はざっとみて1/20〜1/15くらいという印象でした。周辺の住家では瓦に被害がみられました。
(N36°23’22.28, E140°31’20.87)

県道38号線が常磐線を越える跨線橋もアバットメントの沈下で段差ができていました。
(N36°23’18.76, E140°31’23.19)

ひたちなか市の武田地内で常磐線の盛土が壊れて線路が宙づりになっているというような情報が伝えられていましたが,私が現場を通ったときはすでに盛土の復旧が終って,ま新しい線路が敷かれていました。架線はまだ張られていないようで,傾斜した架線柱が被害があったことを伝えていました。

盛土の復旧した区間は100m以上におよび,盛土の大規模な破壊があったのであろうと思われます。盛土の法尻部を線路と平行して走る道路は下水管の埋め戻し土の液状化による沈下があったようにも見えましたが,新しく舗装がしてあってもう何が起ったのかよくわからなくなっていました。
(N36°22’49.79, E140°31’5.68)

もう少し南で常磐線が県道63号線を渡る短いコンクリートの単純桁橋の両側のバラストも新しいものになっていましたのでアバットメントの沈下などがあったのかもしれません。この橋を横から見ると信号線を格納するコンクリートのU字溝(?)がずれているのがわかります。なお,すぐ南にある那珂川の橋梁にはまったく損傷は見られませんでした。また,周辺では瓦に被害にある家が見えます。
(N36°22’35.33, E140°30’42.05)
(N36°22’28.93, E140°31’4.84)

県道351号線が那珂川を渡る勝田橋は通行止めになっていました。北側の盛土部分が崩壊したものと推察されます。写真ではユンボが止っているあたりは新たに土を盛ったように見えます。河川敷は芝生が敷いてあって運動ができるようになっていましたが,そこかしこから砂が吹き出して液状化したことを示しています。盛土が崩壊したと思われる部分の法尻部は特に液状化が激しかったように見えます。この周辺でも瓦の被害がところどころ目に入りました。

(N36°22’18.00, E140°31’3.10)

県道63号線を那珂川を背にして北へ進むと谷地形になった部分を越えて勝倉幼稚園や勝倉小学校がある台地に急な坂を登っていきます。この谷部分で液状化と思われる噴砂と路面の変状が見られました。この場所は常磐線の盛土の被害があった場所の東南に位置します。

那珂川と台地に挟まれた部分は田んぼになっていますが,沼地のようなところを干拓して田んぼにしたのではないかと思えるような非常に整然と区画整理されています。もしそうであれば,台地部分は自然堤防だったのかもしれません。干拓地ではないかと思われる部分で常磐線も県道63号線も被害を受けていました。
(N36°22’36.95, E140°31’22.00)

ひたちなか海浜鉄道の金上駅のすぐ南側の倉庫(組積造?)の小屋裏部分の壁がなくなっていましたがこれはもともと壁がなかったのか,地震で崩落したのかよくわかりませんでした。落下物が見当たらなかったのでその部分がどういう材料でできていたのかわかりませんでした。壁の組積造部分には損傷はないように見えました。
(N36°22’53.77, E140°32’4.38)

ひたちなか海浜鉄道の金山駅の少し南から中根駅の少し南までの区間は河岸段丘(?)に挟まれて中丸川と平行に500m弱の谷地形の部分を走っています。この区間では随所で線路が曲がる被害が見られました。写真は金山駅に近い方から順に並べています。ひとつの位置情報に対して2枚の写真があるものは,その場所から線路の下り側と登り側を見て写真を撮った,という意味です。
(N36°22’21.91, E140°33’14.76)

中根駅には列車が留置(放置?)されていました。駅の時刻表をみると14:47発下り阿字ヶ浦行きの列車だったようです。出発直前に地震に遭遇したものと思われます。

中根駅の上り側,下り側のどちらも駅から至近な場所で線路が曲がっていました。下左の写真ではホームの上り側のすぐ先に線路の変形が見えます。また,下右の写真では少し見にくいですが列車の先,踏み切りの先に線路の変形が見えます。
(N36°22’2.01, E140°33’45.76)

このような線路の変形が地震動のどのようなフェイズによって生じたのでしょうか。列車の運転士さんはその瞬間を見たのでしょうか。もし,地震動のどのようなフェイズで変形が生じたかわかれば変形の主たる要因が震源なのか,地盤なのか,地形なのか多少なりとも見当がつくかもしれないと思いました。

下の写真の付近から線路の両側にあった台地(河岸段丘?)がなくなってまわりが広く開けてきます。少し線路がすこし曲がっているように見えますがローカル線であることを考えるとこの程度の変形は地震前からあったのかもしれませんがどの程度まで通り狂いが許容されるのか知りませんのでなんとも言えません。
(N36°21’44.62, E140°34’10.22)

ひたちなか海浜鉄道が中丸川を渡る中丸川橋梁の両側ではバラストがすっかり抜け落ちていました。それに伴って通り狂いも生じているようでした。
(N36°21’11.09, E140°34’46.16)

国道245号線が那珂川を渡る湊大橋の近くでは下水管の埋め戻し土の液状化が見られました。
(N36°20’51.13 E140°34’46.69)

湊大橋は通行止めになっていました。しかし,何が問題で通行止めなのかわかりませんでした。アバットメントの裏込め土がごくわずか沈んで2cmほどの段差ができているだけのように見えました。橋梁は昭和14年の二等橋の規格に基づいて昭和27年に竣工しています。リベット打ちで静定構造のように見えました。写真には右側に架橋中の新橋が写っています。橋の下の河川敷では液状化によって噴出したと思われる砂が少量見られました。
(N36°20’43.82, E140°34’42.40)

湊大橋から那珂川の左岸に沿って河口の方へ移動すると,那珂川沿いの道路の堤防が大きく崩壊していました。砂が噴いているので液状化によるものと思われます。湊大橋のあたりまで津波が遡上したような痕跡がありましたので,津波によって被害を受けたのか,とも思いましたが,もし津波が越流していれば砂があたり一面に広がっているはずなのでこの場所の被害は液状化によるものであろう,と考えました。
(N36°20’24.54, E140°34’57.22)

周辺には瓦に被害を受けた住家が見られますが,地震動によって構造体が損傷するような大きな被害を受けた構造物は見られませんでした。

さらに河口側へ進むと護岸が崩壊している場所がありました。この部分は上流側の護岸に比べて新しいように見えました。古いほうの護岸(壊れていない)には,「護岸工延長78m 昭和51年3月竣功」と書かれていました。壊れた部分はさらにその後で延長されたのかもしれません。護岸が川側に足下から滑ったような壊れ方でしたが,路面には噴砂のあとは見られませんでした。
(N36°20’14.24, E140°35’18.40)

河口まで500mあまりの「栄町T字路」交差点では交差点付近では砂が大量に噴いたあとがありました。津波によって砂が堆積したわけではない,と思うのですが路面の波打ちや建物の傾斜などから液状化が生じたものと考えています。どういうわけか,この交差点の南北の角に建っている住家のみが傾いていました。電柱なども傾いているため鉛直の基準がわからなくなって何がどれだけ傾いているのかよくわからなくなってしまいました。おそらく,住家も傾いているのだと思います。
(N36°20’18.71, E140°35’5.31)

「栄町T字路」交差点から少し陸側へ入ると瓦の被害やブロック塀が倒れているのが目に入ります。
(N36°20’19.60, E140°35’6.38)

すぐ近くの華蔵院にはかなり広い墓地がありました。もう暗くなってきたためにあまりよく見えませんでしたが,ざっと見た印象ではほとんど転倒していないように見えました。またその向い側の建物は壁が剥落していました。
(N36°20’21.31, E140°35’7.87)

「栄町T字路」交差点よりも河口側の海門町2丁目では,海岸通から少し内陸側へ入ると砂が大量に堆積していたようです。私が見た時点ではすでに砂は掻き集められていましたので,液状化による砂なのか津波によってもたらされた砂なのかよくわかりませんでした。舗装されていない場所では砂が噴いたような痕跡も見られましたので,この辺り一帯が液状化したのではないか,と想像しますがよくわかりません。
(N36°20’16.29, E140°35’12.20)

3/24〜25の調査報告は以上です。第四報へ戻る。
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(文責:盛川仁)

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