2011年東北地方太平洋沖地震被害調査報告(第二報)

宮城県〜岩手県南部の調査

Rev. 1.0 (2011/03/21)

2011年東北地方太平洋沖地震被害の現地調査報告の続きです。第一報はこちらです。

7. 石巻市の被害

7.1 東雲寺の墓地

石巻のジャスコのすぐ東側,県道16号線沿いの東雲寺の墓地では,ざっと見ただけの印象ですが墓石の転倒は非常に少ない印象でした。ただ,よく見ると新しい墓石が多く,耐震化が進んでいて倒れにくかったということも影響しているのかもしれません。
(E141°16’36.35, N38°26’37.14)

7.2 石巻市街地の様子

津波の被害が大きいために石巻の市街地へ自動車で入ることは困難でした。蛇田交差点で県道16号線から国道45号線に入って南西方向に移動しました。国道45号線のすぐ南側には北上運河が流れています。津波はこの運河を越えて国道45号線の北側まで侵入していました。下の写真は国道45号線が仙石線を越える跨線橋の上から北側(海と反対側)を見たものです。石巻港からこの場所まで最短距離でおよそ2 kmです。
(E141°16’47.72, N38°26’14.69)

さらに西へ進むんで中浦橋で運河をわたり南へ入ると津波によって押し流された自動車がたくさん目に入ります。まだ水がひいていないために,国道398号線より南側(海側)へは自動車で入ることは難しい状況でした。国道45号と国道398号が会合する大街道新橋のすぐ東側では運河が決壊して国道398号線が完全に水没しています。
(E141°16’09.72, N38°25’49.60)
(E141°16’02.05, N38°25’49.04)

下の写真は中浦橋の南側で海岸からおよそ500mの場所から南側(海側)を見ています。
(E141°16’10.19, N38°25’37.77)

国道45号線に戻って石巻市と東松山市の境界付近の交差点です。海岸から2 km弱ですが,この場所では津波が侵入していないようでした。信号が消えていることを別にするとかなり古そうに見える建物でさえ外観からわかる被害はないようです。
(E141°15’36.60, N38°25’50.40)

8. 東松島市周辺の被害

石巻市から国道45号線を西へ移動し,東松島市に入って県道251号線と交差するとその西側は定川沿いになります。定川の護岸が堤外地へ大きく移動して崩壊してしました。これによって,自動車の通行ができなくなっています。
(E141°14’50.95, N38°25’52.63)
(E141°14’32.52, N38°25’50.85)

県道16号線が鳴瀬川をわたる木間塚大橋(大崎市と美里町の境界)の北側(右岸14.7K)でも堤防が一部動いていました。砂の噴出などは認られませんでした。
(E141°7’36.46, N38°28’36.81)

鳴瀬川に沿って南下して海側へ向かいます。堤防上の道路の堤内側に土を盛って堤防を拡幅している場所で(左岸8.6K),道路および新しい盛土の両方に被害がありました。河川に平行に亀裂が入っています。堤外地側への変位はほとんど見分けがつかず,堤内地側への変位が卓越していました。この場所でも砂の噴出などは見られませんでした。
(E141°7’08.51, N38°26’09.61)

古堂の西福田地区体育館は,ガラスが割れて散乱していました。体育館の周辺の舗装が大きく波打っていましたが,噴砂のあとなどもなく,このような地盤変状が発生した要因は想像ができませんでした。また,周辺の民家でも瓦が落下したりブロック塀が倒れたりしているのが見られました。
(E141°7’34.20, N38°25’42.82)

国道45号線が鳴瀬川をわたる鳴瀬大橋の北側まで津波が侵入していたことがわかります。鳴瀬大橋は河川のキロポストによると河口から2.8 km上流にあります。この周辺では震動で破壊したと思われる構造物はほとんどわかりませんでした。津波によって押し流されて破壊された構造物との区別がつかない,ということもありますが,もとの場所にたっている建物自体は健全であるように見えました。鳴瀬大橋もアバットメントも含めて無被害のようでした。国道45号線の盛土を挟んで南側は一面水につかった状態のままで,まったく水がひいていませんでした。
(E141°9’38.25, N38°23’49.19)

鳴瀬川の堤外地を見ると,津波による漂流物が津波が遡上してきたときの水位と思しき痕跡を残しています。高水敷を越えて高水護岸の中ほどまで水位があったものと考えられます。

仙石線の南へ行くと津波の高さは鳴瀬川の堤防より高かったようで,堤防を越流した津波が堤防を洗掘して堤防の法尻に沿って走る道路のアスファルト舗装をいとも簡単に流出させていました。
(E141°10’06.34, N38°23’23.92)

下の写真の場所で堤防天端の道路は津波の越流によって破壊していて先へすすめませんでした。海岸まで1 kmほどの場所です。浜市の集落があった場所ですが,船が家屋に衝突するなどしていました。また集落の陸側が水没しているため,集落内の道路がなんとか使えても集落の外へ自動車ででることは非常に困難であるように見えました。
(E141°10’17.44, N38°23’12.16)

国道346号線が高城川と吉田川をわたるところ(松島町幡谷)の幡谷大橋では路面に段差ができていました。しばしば見られるようなアバットメントの沈下が原因と思われますが,桁がアバットメントに衝突してそのコンクリートが破損していました。もともと随分痛んでいたようですが,コンクリートの断面はフレッシュでしたので,この地震による被害と思われます。
(E141°4’01.65, N38°26’16.53)

9. 大崎市周辺の被害

9.1 東北本線松山町周辺

国道346号線,県道19号線を使って北上していくと震動による被害が少しずつ目につくようになってきました。東北本線松山町駅のすぐ南の松山長尾の県道19号線沿いでは下水道の埋め戻し土の液状化によると思われるマンホールの浮上や民家の壁の剥落が見られました。
(E141°4’44.84, N38°30’09.59)
(E141°4’50.04, N38°30’06.11)

9.2 県道32号線志田橋周辺

県道32号線が鳴瀬川をわたる志田橋の両岸では堤防が大きく壊れていました。そのため,志田橋をわたることができず,鳴瀬川の南側から古川方面へ向かうためには大きく迂回しなくてはなりません。

右岸30K付近では志田橋に南から接続する県道40号線が堤防の部分で大きく壊れていました。堤防の法尻が堤内地側へ大きく変位していることがわかります。砂などの噴出物は見られませんでした。
(E141°0’21.12, N38°31’49.96)

また左岸側(30K)も大規模に盛土が破壊していました。堤内地側に堤防を拡張する工事を行っているところだったようですが,もともとの堤防ともども大きく堤内地側に滑っています。堤防の法尻の先にある田んぼには堤防の破壊によって地表が盛り上がったのではないかと思われる「皺」(?)が見られました。
(E141°0’15.53, N38°31’58.39)

また志田橋の右岸側の固定部は完全に破壊していました。ただし,沓を使うようなものではなく,かなり古いタイプの固定方法であるようでした。左岸側は特に損傷はなかったようですので,もともとどういう形状であったかがわかると思います。
左岸側(無被害?;E141°0’19.30, N38°31’59.36)
右岸側(損傷;E141°0’22.98, N38°31’51.20)

志田橋の西側にある下伊場野小学校の東隣の建物が大きく傾斜していました。
(E141°0’16.00, N38°31’47.70)

9.3 古川市街とその周辺

古川市街よりやや南側の国道4号線沿いのセメント工場の建物が傾いていました。また向かって右側のタンクも壁面が一部座屈しているように見えました。ただし,この施設は以前から閉鎖されていて建物は使われていなかったようです。
(E140°56’55.13, N38°33’34.02)

古川の市街地に入ると古川駅の西側,県道1号線(および県道32号線)のすぐ東側のブロックで特に建物の被害が目につきました。また古川駅の周辺では広い範囲で液状化が起っていたようです。古川駅の北西に位置する12階建てのホテルは免震構造になっているということで外観からは損傷があったようには見えませんでした。また,建物内も特に乱れた様子もありませんでした。
(E140°57’53.86, N38°34’26.52)

上の免震建物のすぐ北側のNTTの建物の周りや向かい側の3階建てRC造の建物の周りで液状化と見られる噴砂の痕跡が見られました(「駅前大通」交差点周辺)。前者は公衆電話ボックスが傾斜し使用できない状態となっており,後者の建物は東側(写真では向かって右側)へ傾斜しているように見えました。
(E140°57’53.86, N38°34’27.52)
(E140°57’52.50, N38°34’25.80)

東北新幹線の古川駅のすぐ北側の高架橋下では非構造部材の配管が落下していました。高架橋下は駐車場として利用されており,落下した配管によって車両が損傷を受けていました。
(E140°58’05.17, N38°34’20.09)

駅前大通交差点から1ブロックほど西側へ入った古川台町,古川十日町の一角では古い構造物がいくつか崩壊していました。京大の後藤さんはこの南側のブロックで木造建物の倒壊が多数見られたことを報告しておられます。南北に走る四季彩通(県道1号線および県道32号線)の一本東側の通りに沿って特に被害が大きかったのかもしれませんが,非常に限られた範囲での調査しか行っていないため,断定的なことを述べることはできません。
(E140°57’42.15, N38°34’29.96)
(E140°57’44.27, N38°34’36.48)

この周辺での地震動がどの程度であったかを知る術はいまのところありませんが,被害が多いと感じられたブロックのすぐ北側の古川北町1丁目の一乗寺では一見した印象では墓石の転倒が目につくように感じました。また,一乗寺では下の写真のように東屋が倒壊し,墓石も多く転倒しているように見えます。
(E140°57’53.48, N38°34’39.47)

その一方で一乗寺から西に500mほどのところにある成願寺の北側の大きな墓地では墓石の転倒はあまり目につきませんでした。もちろん,墓石がどの程度耐震化されているかなどの物理的要因についても検討の余地がありますし,定量的に墓石の数を数えたりサイズを測ったりしたわけではなく,あくまでも印象にすぎません。

第一印象として成願寺に対して一乗寺のほうが大きく揺れたのではないかという印象をもちました。下の写真のように,成願寺の北側の墓地ではあまり転倒している墓石がありません。
(E140°57’27.94, N38°34’46.96)

10. 仙台駅北側の新幹線高架橋の被害

東北本線東仙台駅と岩切駅のちょうど真ん中あたりで東北新幹線の高架橋が被害を受けていました。架線柱が大きく傾斜しているところがありました。
(E140°56’19.67, N38°17’10.77)

傾斜した架線柱の下の高架橋はかなり高い確率でなんらかの損傷をうけていました。この区間の高架橋の多くは2層ラーメン構造で上層の柱のみ鋼板巻きの耐震化工事が行われたもの,上層,下層ともに鋼板巻きがされているもの,まったく鋼板が巻かれていないものなどが含まれています。ざっと見ただけでは耐震化工事を行ったものとそうでないものでは被害の受け方に違いがあるようには見えませんでした。2層ラーメン構造から1層ラーメン構造に変るところでは1層ラーメンの柱が大きく損傷していました。それ以外の2層ラーメンでは真ん中の梁が損傷していました。鋼板巻きをしている柱では当たり前ですが内部は見えませんので,もしも,内部のコンクリートに損傷があっても外観からはそのことを判断することができません。
(E140°56’33.44, N38°17’22.10)
(E140°56’41.19, N38°17’26.87)
(E140°56’07.04, N38°17’06.52)

東仙台駅の西側の県道8号線を新幹線と東北本選が越えるところでも架線柱が傾斜していました。ただ,この場所の周辺では高架橋の損傷には気が付きませんでした。
(E140°54’36.08, N38°16’14.76)

以上が3/15の報告です。続きは第三報へ。
(文責:盛川 仁)

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2011年東北地方太平洋沖地震被害調査報告(第二報) への2件のフィードバック

  1. 高橋章浩 のコメント:

    9.2 県道32号線志田橋周辺で,左岸側(30K)堤防の法尻の先にある田んぼには堤防の破壊によって地表が盛り上がったのではないかと思われる「皺」があると思っていましたが,実は違うみたいです(トラクターが走行方向を変えるときに出来た後のようです).

    • morika のコメント:

      コメントありがとうございます。なるほど…そういうこともあるのですね。なかなか本質を見極めるのは短時間では難しいと云うことを理解しました。

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