鳥取へ

盛川仁 (建設工学講座 構造工学研究室)

本年4月16日に鳥取大学へ転任してまいりました. 鳥土会の皆様に転任と鳥土会入会(?)のご挨拶をさせていただく機会を, 「鳥土会だより」の紙面にいただき,感謝しております.

これまで,ベタベタの関西人で,近畿圏の外では一度も生活をしたことが なかった私にとって,鳥取への引っ越しは一大決心でした. 今から思い返しても,やはり思い切った決断をしたという感は強いのです が,しかし,全く知らない土地へ移り,より多くの人たちと知り合える機 会が得られたと云うことのありがたさを強く感じています. ただ,人生の目的は笑いをとることである,という関西人特有の文化(ホ ンマか?)に馴染んだ体は,「なんで,ここでツッコミがこないの?」と いう若干のテンポのズレに,まだ,ちょっとだけ調子が狂っているような 気がします.

私は,これまで確率論的手法を用いて地震動を取り扱うという研究に従事 してきました. しかし,確率論だけで物理現象を語ることは不可能であるという当たり前 の現実を前にして,地盤震動の物理を知ることの重要性を痛感し,震動計測(これは肉体労働とも言います)や震源物理,波動論についても興味の目を向けてきました. また一方で,工学的観点から見た地震動は,常に,地震による構造物の被 害と直結していることが期待されています. 砂漠のド真ん中で起こった大地震については,地震学的興味はありこそす れ,通常,工学的興味はないわけです.

1940年代に鳥取地震(1943),東南海地震(1944),三河地震(1945),南海地 震(1946),福井地震(1948)と毎年のように1000人以上の死者を伴う被害地 震が発生したあと,戦後は,地震に関してだけ言えば,比較的平穏無事な 時代が続いていました. 地震工学にとって新たな転機となる地震はいくつかありましたが,誤解を 恐れずに極端な言い方をすると,地震による被害というものが,何となく 他人事のように思えた時代だったように思います(もちろん,当事者にとっ ては決してそんなことはあり得ないのですが). その後,私が地震に関する勉強を本格的に志すようになってからは,幸か 不幸か,1989年Loma Prieta地震(米,California)を皮切りに次々に被害 地震が発生しました.被害調査やその後の各種調査などで私自身がかかわっ た地震だけでも,1991年釧路沖,1993年北海道東方沖,1993年三陸はるか 沖,1995年兵庫県南部,1996年麗江(中国,雲南省)とやたらにたくさんあ ります. これまで,時間の余裕にものを言わせて,夢中で地震を追いかけてきたよ うな感じです.

被害地震は,必ずどこかに不幸の種を蒔いていきます. それを目の当たりにして,いかにすれば,種そのものを蒔かないようにで きるのか,といつも考えてきましたが,問題の大きさ,重さに気が滅入る ばかりです. しかしこういう話は,たくさんの根性に勘と運と経験を少々ふりかけて乗 りきるしかありません. 一粒でも不幸の種を減らせることを願いつつ,この小文をとじたいと思い ます.

今後ともどうかよろしくお願い申し上げます.

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