確率論を使った地震危険度解析に関する考え方

東京工業大学 盛川仁

非常に稀な現象を取り扱う場合,その実現値の数が非常に少ないため,パラメー タの統計的な信頼性が乏しく,その信頼性に乏しい統計量を用いた確率論的な 取り扱いの信頼性も低いはずである。それにも拘らず,結果としては何らかの 数字が出てくるために,多くの誤解を招くのではないか,というのが問題の主 旨である,と理解しています。

もっと短く言えば,「大数の法則」が満足されない条件下でそれを適用しよう としている,という点が問題視されていると言えるでしょう。

この問題を誰に対して説明したいかによって,説明の仕方も異なってくるとは 思いますが,いずれにしてもこの指摘は非常に本質的で,たとえ,なんらかの 説明を試みたとしても言い逃れをしているだけにしか見えないのではないかと いうことが気にかかります。しかし,だからといって,説明のための努力をし ない,ということにはならないので,私なりの説明を試みてみたいと思います。 しかし,結果的には,問題を棚上げするのが精一杯で,真正面から答える ということは,私にはできません。そんなわけで,あまり(全然?)説得力のあ るものにはなっていません。すいません。

でも少し言い訳をさせてください。かのコルモゴロフだって,確率の公理系 を導入することで「確率とは何ぞや?」という哲学論争を完全に棚上げし, 確率論を数学の一分野として確立することに成功したのですから,「問題の 棚上げ」というのも悪くない説明方法ではないかと思うのです。

…って,やっぱりそれとこれとは別問題…ですね…。うーむ。

この問題は,たとえば,サイコロを2回ふって,その出た目の数が,3と5だっ たから,3の出る確率は1/2,5の出る確率は同じく1/2である,と結論づける ことと同じ問題を含んでいると考えられます。私たちが,サイコロに関して 事前の情報を何一つ持っていないのであれば,おそらく,これ以外の結論を導 くことは不可能です。既に経験済みである3と5以外に,サイコロが1や2などの 他の値もとり得ると云うことすら知らないのですから,やむを得ません。

しかし,幸いにも私たちはサイコロの3がでる確率は1/6であることを知ってい ます。なぜそのことを知っているのでしょうか?それは,サイコロは1~6の整 数しかとらず,かつ,それらの出かたは等しく互いに独立である,と信じてい るからです。このような信念に基づけば,1回も実験をすることなく,3の出る 確率について述べることができます。地震の発生についても,その起りうるす べての可能性を事前に知ってさえいればそれらの確率を設定することは容易で す。

これは,あまりにも古典的なラプラス流確率論に基づく発想で,「いまふう」 ではない,との批判を受けるかもしれません。しかし,ここから私たちは,た とえ,実験をすることができなかったとしても,現象の物理的背景を詳しく知 ることによってその確率論的性質を知りうる,という示唆を受けます。

ただ,地震の場合,問題となるのは「その起りうるすべての可能性」を網羅す る術がない,という点です。そして,すべての可能性を網羅したかどうかを確 認する方法もありません。たとえて言えば,サイコロは正の数をとり,最大値 は6,すでに得られている2つの実現値の値が3および5である,ということだけ を知っているという状況に近いでしょう。サイコロのとりうる値が整数なのか 実数なのか,またそれらが互いに独立であるのか,等しい確率で実現するのか, といった情報が全くわからないのです。

このような状況下では,ごく少数の実現値が問題解決に果たす役割はごくわず かしかありません。しかし,私たちはこの限られた情報のもとで,その未知の サイコロについて,考えうる限りの選択肢の中から何らかの選択を迫られてい ると言えます。たとえば,最悪の状態の例として「常に6がでる」という立場 をとる,「3と5がそれぞれ1/2の確率で生起する」という立場をとる,あるい は,「区間[0,6]の一様分布に従って生起する」という立場をとる,等々,で す。どのような選択肢を選ぶか,という問題は,もはや数学の問題ではなく哲 学の問題と言っても過言ではありません。これは,大数の法則の適用の正当性 について議論すべき問題ではないのです。

現時点では,私たちは地震について,その物理的メカニズムに関するあまり完 全ではない理解と,ごくわずかの実現値を持っている,という状況です。この 条件のもとで考えられる選択肢の中から,一つの立場を主体的に選び,それを もとにして最終的な結論に至っています。最初に拠るべき立場として異なるも のを選べば当然,その結論は異なるものとなります。

(この立場がどのようなものであるかは別途明記すべきものです。)

近い将来,地震に関する物理が完全に明らかになれば,ラプラス流の考え方に したがって,パラメータの確率論的構造を知ることができる可能性は残されて います。しかし,現時点で私たちがとりうる最善の方法は,限られた条件のも とで前提となる立場を主体的に決定し,その考えのもとで,一つの結論に達す る,ということです。「評価出来ないことを出来たかのごとく言う」のではな く,ある与えられた前提条件のもとでの評価を示していると理解すべきものな のです。

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