兵庫県南部地震以降の地震被害調査について

鳥取大学工学部土木工学科 盛川仁

地震工学に関する勉強を本格的に始めるようになって,まず最初に,地震 被害から,学ぶべき事を学ぶ,というのが勉強の基本であろうと考えまし た.ですから,地震が起これば,とにかく,出来るだけ早く現地に入って 被害調査を行う,ということをマメにやってきたつもりです. 1990年代は,かなり頻繁に各地で被害地震が発生し,私自身,時間にゆ とりがあったと云うこともあって, はからずも,多くのことを学ぶこと ができました. これらの被害調査が,具体的にどのような形で研究に結び付いているか, ということは別の問題として,物事を考える基本は,やはり,実際の現象 のなかにあるという,ごく当たり前の事実が,まさに,動かしがたい現実 である,ということを多くの地震を通して強く印象づけられました.

ところが,兵庫県南部地震以降,ぱったりと被害調査に行かなくなってし まいました. 被害が発生したところへ足を運ぶことが基本である,と言うわりには,言 行が一致していません. 最近相次いで発生した,トルコ・コジャエリ地震,台湾・集集地震ともに, 結局,現地へ行かないままに過ぎ去ってしまいました. もちろん,この原稿の執筆時以降に調査に出かける可能性もありますが, 震災直後に現地調査を行う,というのとはだいぶんと趣きが異なります.

海外の地震ばかりではなく,兵庫県南部地震以降に国内で発生した地震に ついても同様のことが言えます. 国内であれば,調査の時間さえ捻出すれば,簡単に現地に赴くことができ るにもかかわらず,です. 強震域は局所的ではあるけれども,その限られた範囲内では比較的目立っ た被害の発生した地震は,兵庫県南部地震以降にいくつもありました. これらの地震は,規模は小さいけれども(兵庫県南部地震に比べて,とい う意味ですが),「直下型」地震であることにはかわりはなく,これらを 詳しく調査することは,兵庫県南部地震のような大きな被害を出した地震 を知る上でも重要であったはずです. それなのに,これらの地震発生当時,「なんとなく」現地へ行かないまま に,そ知らぬ顔で済ませてしまいました.

あまりにも大規模な地震の場合には,個人的な調査の範囲で全貌を知るこ とは非常に困難になって,全く手におえない,ということになりがちです. しかし,被害の範囲が小規模な地震の場合,そのときに発生した現象の隅々 にまで自分一人で目が届いて,全体を見回した上での新たな発見が期待で きるのではないか,と思えるのです. もちろん,物事がこんなに単純であれば苦労はしないはずで,現実はこん なに甘くないでしょう. もちろん,地震の規模によって発生する現象の様相も異なることが多いで しょうから,これらを単純に比較することには無理がありますが, そうは言っても,せめて,この5年間の間に発生した被害地震の どれか一つでもきちんと調査に出かけていれば,と非常に悔やまれます.

どうしてこう云うことになってしまったのでしょうか. 理由のひとつとして,兵庫県南部地震の前後で,地震被害の大小に対する 感覚が大きく変化してしまったことが挙げられます. どの程度の被害をもって大被害と思うか,という主観を頼りにして,被害 調査へ行くか否かを判断していた部分も大きかったように思います. それなのに,その判断基準が変化した,あるいは,兵庫県南部地震の強い 印象によって狂わされてしまったならば,以前の感覚を取り戻すことは非 常に難しいことだからです.

最近になって上のような反省から,兵庫県南部地震以前の被害に対する大 小感覚に戻って,被害調査をせねばならない,という意識を強く持つよう になりました. しかしその一方で,では,地震被害調査というのは,一体,何を調査しに 行けばいいのか,という極めて基本的な点について,悩みはじめています. 実は,地震による被害調査そのものが,「怖く」なったような気さえする のです. 兵庫県南部地震の被災地の印象が強すぎたために,被災地に対して強く 感情移入してしまいそうだから,かもしれません.

雲仙普賢岳の火砕流で亡くなった消防関係の方々は,立ち入り禁止 を守らない「記者」や「学者」の巻き添えになったといっても過言ではあ りません. この事実を前にして,誤解を恐れずに言うならば,学術的な調査とは,一 体,どのあたりがどのように学術的なのか,野次馬との違いは何なのか, ということを考え出すと,自分に対する自信が持てなくなってしまいます. このようないいわけには,私自身が最近,地震被害調査に行っていない, という事実を正当化しようという心理的作用や,現実逃避的な部分も多分 にあるとは思います.

しかし,合目的的で,かつ,被災者の立場に立った地震被害調査というも のが,どのような形で存在しうるのか,と云うことについて自分なりに悩 んでおくことも重要ではないかと,考える昨今です.

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